「ディスコムーブメントは存在する」  2008年7月8日

 椎名純平ネタをひとつ。
 最近椎名純平は、二月に一度ほど、某ディスコイベントに出演させていただいている。おそらく、オフィシャルサイトをご覧いただいても、そのような情報は掲載されていないはずだ。なぜならば、シークレット扱いだから。お客さんが歌声を聴いて、「ああ、なんだ」と思ってもらえば幸い。そういう狙いである。
 なにせ、このディスコイベントを主催している某アーチスト氏をはじめ、バックバンドもすべて変装。純平を含めたゲストも変装と、徹底されている。変装といっても、カツラや顔を黒塗りにしたりといった、他愛もないものだが。その匿名性に乗った状態で、往年のディスコの名曲をフロアーの観客に届けるという趣向。すでに数回開催されているが、回を重ねるごとに盛り上がりは増すばかりだ。
 どうやら、東京から多摩川を越えたあたりの都市でやっているらしい。白々しい。8月にもそのディスコイベントがあるらしいので、往年のディスコフリークかつ探偵志向のある方は、ご近所お誘いの上どうぞ。つい告っチッタ、てへ。


「ライブハウスでのライブならば」  2007年11月2日

 ライブハウスでのライブは「立ち」が基本です。椅子席に慣れている身には、少々体に堪えるのが正直なところ。いやむしろ、こういう機会を使って自らの体を鍛えるようにしましょう。
 それにかこつけてみました。Spa & Treatmentツアーのいままでの会場、横浜BLITZでもZEPP NAGOYAでも、終演後会場から駅までを徒歩にしてみたのです。いずれもだいたい20分程度の距離でしょうか。ウォーキングとしてちょうど良い距離感です。それに、横浜みなとみらいの広漠たる様、そして名古屋駅周辺の巨大メトロポリス的様、これらの威容をじかに感じられたのは、徒歩ならではの収穫でした。横浜BLITZから横浜駅まで、みかんの皮を捨てたかったのにどこにもゴミ箱がなく、駅についても見つからなかったので、最後には弁当箱に入れてやり過ごしたのは、逆に誤算でした。
 これからライブが行われる地方の会場でも、ぜひライブハウスから駅までは、徒歩でどうにかしたいと思っています。
 言ってるそばからですが、ZEPP OSAKAの遠さにはびっくりしました。東京でいうところのお台場のような、埋立地にあったのです。東京駅からお台場へ徒歩で行くということがかなりの力技のように、梅田駅からZEPP OSAKAへも徒歩は無理でした。しょうがないので、コスモスクエア駅を利用して。


「Spa & Treatmentはじまる」  2007年10月30日

 もう既に3公演が開催されている東京事変 live tour 2007 Spa & Treatment。私ももちろん現場でライブを見つめています。ライブハウスでの実演ですので、お客さんとのコールアンドレスポンスによって、ライブの出来はいかようにも変化します。どうぞこのたびは、ガンガンとステージの事変衆に感動をぶつけてやってください。
 楽屋エピソードをひとつ。楽屋では、なぜか巨大なビニールマットレスが敷かれています。史上最大の遊戯を感じさせるほどの、不穏なブツです。椅子などは退けられていて。いったいどういう意味なのかと訊ねてみると、なんでも伊澤氏が持ち入れたもののようで、寛ぐためのものなのだそう。空気で膨らんでいるので、フカフカして心地よい感触。確かに寛げそうです。液状のものをこぼさないようにしないと。
 本番が終了してビニールマットが恋しくなるか否か、それこそがライブの充実度を測るバロメーターになるに違いありません。


「二人を祝う」  2007年10月5日

 来るべき東京事変 live tour 2007 Spa & Treatmentに備え、ただいま東京事変は日々リハーサルに励んでいます。本日10月5日も、もちろんリハーサルは実施されましたが、なんと偶然にも、この日は刄田氏の誕辰ではありませんか。そして、本日より二日後、10月7日はこんどは浮雲氏の誕辰なのです。祝わない手はありません。
 私は百貨店に赴き、ケーキをホールで購入。プレートには「刄田 浮雲両氏 お誕生日おめでとう」の文字指定。そのままスタジオへ急行しました。
 どこでケーキを出すべきか、演奏が行われているスタジオの見えるブースから、常に私はタイミングを見計らっていました。そしてついに、リハーサルがひと段落ついたところで、ようやくケーキを出す局面が現われました。冷蔵庫からケーキを取り出し、蝋燭を立てる。GOサインが出たらば、すぐさま火を灯し、スタジオを急襲!のはずが、ひと段落したリハーサルの火がまた灯り出したりして。そこからまた数分待たされました。蛍光灯に晒された、蝋燭をさしたケーキが傷みやしまいか、待っている間は気が気ではありませんでした。
 ようやく出たGOサイン。私は蝋燭に火の灯されたケーキを持って、慎重にしなしなとスタジオに入っていきました。やおら聞こえるバースデーソング。林檎女史によるものです。贅沢極まりないこと。喜びを爆発させる一方の主賓・刄田氏。「嬉しい」を連発しています。いま一方の主賓・浮雲氏は「俺はいいよ」と謙遜しながらも、周りの後押しでケーキの乗った台の方へ。そして、二人して蝋燭を吹き消す。なんて心温まるひととき。
 件のケーキは、事変メンバーはもとより、スタッフでおいしくいただきました。
 いまさら誕生日もないだろうよ。そんなことはないと断言いたします。むしろいまこそ誕生日なのだと。


「J高田先生と」  2007年9月21日

 高田姓の著名人は数あれど、やっぱりいちばんにイメージされるのは、なんといっても高田純次先生です。「先生」を後ろにつけずにはいられないほど、完全リスペクト。過去の面白武勇伝は枚挙に暇がありません。それでいながら、現在もバリバリの現役でいらっしゃる。尊敬しないのがおかしいというもの。
 当然ながら、我らが林檎女史も、高田先生を長年敬愛してきました。事変メンバーに伊澤氏が加入したときも、「高田純次さんに似ている」などと嬉しそうに言っていたものです。まさかそれが理由で、伊澤氏の事変加入ということがあるわけもないのですが。
 さて、そんな林檎女史が、東京事変として久々に「僕らの音楽」(フジテレビ系)に出演することとなりました。「僕らの音楽」出演ということは、対談コーナーがもれなくついてきます。そうなると、もうお相手は高田純次先生にお願いするよりなくなります。高田先生も対談のお願いに快諾してくださったようで、椎名林檎×高田純次の奇跡のマッチメイクが先日ついに実現しました。
 場所は、都内の小粋なバーで。本番でリアルに初対面というスリリングさ。林檎女史はもとより、高田先生も心なしか緊張しているご様子でした。前半戦こそ間合いをはかっているようでしたが、そこは百戦錬磨の高田先生です。後半はいつもの名調子が炸裂しました。周りで観ていた私たちは、笑いを堪えるので必死でした。
 さあ、ならば中身はどんなトークが繰り広げられたのか。「僕らの音楽」。対談も実演も、とにかくオンエアは必見です。 


「スタジオという炉」  2007年4月17日

 東京事変の集うスタジオへ行く。伊澤氏と遭遇。開口一番「『志まんノート』見ましたよ。面白かった」と言われる。存外の喜びだった。書いた甲斐があるというものだ。しかし一方で、「志まんノート」を見た縁者からは「発言に気をつけなさい」とたしなめられたらしい。あのときの伊澤氏の発言は、悪意があるものではなく、私たちに潤いを与えるものだったことを強調しておかなければならない。あの発言は、むしろ笑っていただくべきものだったのだ。
 さて、スタジオ。事変の五人が試行錯誤を繰り返しながら、徐々に音楽を仕上げていく様は、いつ見てもゾクゾクする。さんざん工夫を凝らした結果、工夫箇所を使用せず、そんな決断もあり得る。より良い音楽を作るためには、その都度足し算引き算が必要なのだろう。
 東京事変は、既に始動している。期待を注入すると、スチールウールの如く、激しく燃焼する。燃焼の末の爆発が見えてきた。


「服役した人」  2007年4月3日

 東京事変がリハーサルをやっていた。  久々のセッションである。あの五人がしばらくぶりに勢ぞろいした。このこと自体、小さな事件=事変であろう。私も遅ればせながら、リハーサルスタジオにはせ参じた。
 事変のメンバーに挨拶するやいなや、伊澤氏がご挨拶なひとことを放った。「殺人犯みたいな」。
 何を言わんとしているかわからなかった。数秒の思考のあと、どうやら私の"なり"に対してのコメントだということに気が付いた。薄いグレーのスエット地の丸首に、ブルゾン。この組み合わせが、出所した受刑者に見えたのだそうだ。だからって、一足飛びに「殺人犯」などと。秒殺されたが如く、私は一瞬でテンションを落とした。
 その一週間後、またもリハーサルの現場へ赴いた。伊澤氏は、すっかり先週の出来事を忘れていたばかりか、私と挨拶をしたことすら忘れ「お久しぶり」などとのたまう始末。「先週殺人犯呼ばわりしたではないですか」と言うと、「ああ、ハハハ」と恬淡と笑った。


「純平×クラブ」  2007年3月7日

 椎名林檎×斎藤ネコの「この世の限り」での+要員としても気を吐く椎名純平だが、自身のフィールドでも実にいい仕事を見せてくれた。
 東京は丸の内「COTTON CLUB」でのライブである。ここは、ジャズの殿堂として、昨年のオープン以来、名だたるジャズ界の巨人たちがライブを催してきた。シックかつゴージャスな店内。美味い酒や料理を楽しみながら、良い音楽を聴く。なんて贅沢なひとときであろう。
 私が店に入ったときは、既に純平氏のライブが始まっていた。案内されたテーブルは、向かって右側、ステージの真横である。ベースとドラムを従え、グランドピアノを弾きながら歌う純平氏とは対面するポジションだった。照れる必要もないのだが、目が合いそうになり、ちょっと下をうつむいたりしてしまった。何をやっているのか。
 ほの暗い空間。カクテルで喉を潤しつつ、純平氏の音楽に改めて耳を傾ける。衒いの無い純平氏の声が心地いい。トリオで奏でるサウンドも息が合っている。聴衆も満足げだ。とりわけ、欧米人とおぼしき外国人のノリが凄かった。演奏が終わる半テンポ前に早くも激しい拍手。「ワッツゴーインオン」でも歌おうものなら、口笛で激賞する始末。さすがに、ビールを超ピッチで飲んでいたためか、 アンコールに入ったところでご不浄に席を立っていたが。
 「COTTON CLUB」と椎名純平。うまい酒といい音楽。もう一度味わいたいものである。


「僕らの音楽体験」  2007年2月21日

 「僕らの音楽」の収録現場には、すでに大勢のミュージシャンがいました。名人に疎い私ですら存じ上げる方も幾人か。EMIのディレクターY氏に尋ねてみると、今ここにいるミュージシャンが一堂に会することがどれだけ価値があることかを諭されました。私「あの方は・・・?」、Y氏「あの人は、フュージョン系の大家でね」、私「ドラムはあの・・・?」、Y氏「そうだよ、レコードで何度も聴いたことがあるだろう?」。などと、教育テレビ的やり取りを繰り広げたものです。そうなのです。椎名林檎の新作「平成風俗」こそ、まさにこれらの特Aクラスのミュージシャンがこぞって参加している驚きの作品なのです。そして今回の「僕らの音楽」では、音源を再現せんと綺羅星たちが呼び寄せられたというわけです。
 いっぱいのミュージシャンを斎藤ネコさんが束ね、林檎女史の歌声もいよいよ余韻嫋嫋の響きを見せます。「この曲とともにエンドロールが」とか、「林檎女史とイチローさんの談笑を受けてこの曲が始まるな」などと、私はオンエアの情景を夢想せずにはいられませんでした。「平成風俗」に収められた重要楽曲を3曲。豪勢に完全再現です。視聴+永久録画をマスト要件に掲げたいと思います。


「まさにこの世の限り」  2007年1月12日

 椎名林檎のシングル「この世の限り」が発売間近です。ふと、プロモーション ビデオを撮影したときのことが思い出されます。場所は東京近郊の広大な屋外更地 で。今回は、林檎女史のほかに、斎藤ネコさんと椎名純平氏も参加し、非常に賑 やかな撮影となりました。
 日中は、クレーンに吊るされたカメラを見上げる姿勢がほとんどで、林檎女史 も純平氏も、おそらくは後日首筋にハリを感じたはずです。他方ネコさんは、お ひとりだけカメラ目線でない役回りだったため、実に悠然としていたものでした。
 それにつけても場の寒さよ。夜になっても撮影は続きました。太陽という熱源 を失い、寒さはいよいよ猛威をふるってきました。とくに林檎女史は、衣装が薄 着でした。撮影中は衣装でひたすら耐え、「カット」の声がかかるとすぐさまベ ンチウォーマーをかけられていました。そのベンチウォーマーも、撮影が進むに つれ、内側にカイロが敷き詰められるなどバージョンアップしていました。
 撮影終了となったのは、午後11時ぐらいでした。演者のお三方には、寒い中本 当にお疲れ様と言いたいです。斯く言う私も、帰宅して温かいスチームを浴びた ときは、本当に生き返った心地がしました。ふと、自分の顔が妙に赤らんでいる ことに気付きました。凍傷かと思いきや日焼け。太陽め。


「駅」  2006年11月22日

 某所で林檎女史を交えての打合せを持つ。首尾よく終えて、帰路最寄の駅で電車を待っていると、反対側のホームに浮雲氏が電車を降りてきた。
 妙な既視感を覚えたが、それもそのはず。春の東京事変のツアーで富山に赴いた際、翌朝富山市の新交通システムで私は富山港まで遊びに行った。線路が単線のため、待避線を持つ駅で上下線の電車がすれ違う必要があるのだが、帰り際下り電車に乗った浮雲氏と遭遇したのである。そのときと状況が酷似していた。
 今回の遭遇でも、富山ほどではないにしろ、私は浮雲氏ににこやかに微笑み返し手を振って別れた。因みに富山のときは、女子高生のそれと等しいほどのお互いの手の振りようだった。浮雲氏はそのまま林檎女史のところへ向かったと見える。富山ほどの偶然さでは無かったため、それほど私にとっての感慨は無かった。しかし後で聞いたところによると、浮雲氏にとっては、富山での邂逅を引き合いに出し、運命論すら展開するほどの驚きだったらしい。ひとり冷めていた自分が情けない。光栄です。


「造語名人」  2006年11月17日

 今年の新語・流行語大賞にもノミネートされた「ハンカチ王子」なる言葉。先日林檎女史がおもむろに「ハンカチ王子って知ってる?」と訊いて来たときには、驚くとともに脂汗が垂れてきたものです。
 ハンカチ王子こと早稲田実業の斎藤佑樹投手がセンセーショナルな話題を呼んだのが8月の甲子園の時期。とっくにフィーバーが沈静化されたこの11月の時点で、いまさらながら「ハンカチ王子」というフレーズを聞かされるとは。しかも林檎女史の口から。
 なんでも林檎女史は、最近になって「ハンカチ王子」という活字をどこかで見初めたらしく、ハンカチ=王子というその命名センスに、何事かと色めき立ったというのです。自身の「少女ロボット」であったり「カリソメ乙女」であったり、それらと相通ずる何かを感じ取ったという林檎女史。おそらくはこの「ハンカチ王子」の命名者はスポーツ紙の記者の方あたりだろうと思いますが、してやったりといったところでしょう。


「講談師ばりの」  2006年11月2日

 ゲゼルシャフトカレンダーのために撮影の場を持ったときのこと。
 その日は、久々に東京事変のメンバーが一堂に会する機会だった。また、林檎女史にとっては、『さくらん』の映画音楽の制作真っ最中であり、撮影スタジオにもラッシュフィルムの収められたDVDを持参し、パソコンで映像を確認していたりした。
 興味深げに『さくらん』の映像を覗き込む伊澤氏。それに気付いた林檎女史は、事細かに展開解説を始めた。曰く「この人は大旦那でね」、曰く「この木村佳乃さんが切なくて」、曰く「ほんとに痛そうでしょ」、曰く「置屋から連れて逃げて欲しいんだよ」などと。また、シーンを先取りして「どこだ!!」と台詞を吐いてみたり。伊澤氏も私も、あたかも女性の心情についての講義を林檎女史から受けていたかのよう。結果的に『さくらん』に釘付けになってしまっていた。
 『さくらん』がDVD化されたとき、よしんば特典に林檎女史のコメンタリーが付いていたら。思わずそんな希望を抱いてしまうほどの、林檎女史の名調子であった。


「赤穂スティック」  2006年10月12日

 向井秀徳さんの名物ライブ「向井秀徳 アコースティックエレクトリック」を観に行く。場所は、九段下の九段会館。九段会館といえば、2003年に椎名林檎の「賣笑エクスタシー」が開催されたレトロで瀟洒な会場。期待は高まるばかりである。
 その日は関東一帯は強烈な風雨だった。傘を用いようと、横殴りの雨には為す術も無い。私は被害を最小限に留めようと、ライジングサンロックフェスティバルのときに購入して以来、事務所に置いたままにしておいたオジさん仕様の黒い長靴でもって、会場に向かった。果たせるかな、靴下がグショグショになることもなく、快適な状態で九段会館に到着できた。
 既にステージでは向井さんの演奏が始まっていた。がらんとしたステージ上に、アコースティックギターを抱えぽつんと座る向井さん。ボーカルとギターがダイレクトに聴衆の心に響いてくる。素晴らしい。なぜ向井さんが、ZAZEN BOYSとこのアコースティックエレクトリックと二つの表現手段を必要とするのかが、実によくわかった。
 斜前の席では、林檎女史が観ていた。1曲が終わるたび、「最高!」などと素直な感動を示していた。また、向井さんのMCに対しても、最も明快なリアクションを表わしていた。派手なリアクションはできなかったものの、私の気持ちも林檎女史と同じものだった。
 たいそう満足して私は九段会館を後にした。九段下駅の入り口がごった返していたため、私はそのままJR水道橋駅に向けて歩き始めた。もちろん傘を差していたのだが、結局長靴を履いていたことが無意味となるほど、雨に弄ばれてしまった。電車の中で長靴が恥ずかしいだけだった。


「yokoso! 事務所へ」  2006年9月28日

 ここ数日、事務所にアーティストが現る機会が多い。そのたびに、背筋がしゃんとする。
 先日は純平氏が。そして今回は、真打ち・林檎女史だった。すがすがしい兄妹リレーである。桃色の召し物で登場の林檎女史は。各担当と業務連絡を済ませ、忙しなく出て行った。同日。林檎女史が事務所を去って数時間。今度は浮雲氏が現れた。浮雲氏も、要件を済ませるとそそくさと去って行ってしまった。
 もっと皆、フランクであっていい。純平氏はフランクすぎた。林檎女史も浮雲氏も、あまりによそ行きというか、他人行儀ではないか。もっと気楽にゆっくりしておいきよ、いつも私などはそう思う。
 それならば、今度林檎女史たちが事務所にやってくるときは、両手を広げ、そして会心の笑顔で「いらっしゃいませこんにちは!」と私たちは受け入れたいものだ。更によそ行きな態度を取られるかもしれないが。


「新プロジェクトの旗揚げだ!」  2006年9月25日

 純平氏が事務所にやってきて、しばし歓談を。
 最近フルートを稽古しているとのこと。「もう、相当なもんでね」。近いうちに自身のステージでの披露が期待できそうだ。
 楽器の稽古という話題の流れで、純平氏が「そうだ、みんなで楽器を奏でよう」と提案をした。純平氏はともかく、私を含めて周りの数人は、皆てんで素人である。ではどんな楽器をということになり、ある者はピッコロを挙げ、ある者はテルミンを挙げ、ある者はのこぎり楽器を挙げた。そこに純平氏のフルートとなる。なんて編成だろうか。のこぎり楽器といえば横山ホットブラザーズだが、思わず「おーまーえーはーあーほーかー」と言いたくもなる、コミックバンド的珍妙さである。まあ、すべて他愛も無い夢想の話なのだが。
 純平氏が新車を購入したという。駐車場に私たちを招き、得意げに愛車紹介を始めた。1973年に生産されたイタリア車だ。車種は聞いたのだが忘れてしまった。白いボディの質感が、昨今の白い自動車とは一線を画し、実に美しい。純平氏はボンネットを開け、エンジンの気筒についても熱弁を振るっていた。"くるまにあ"の面目躍如といったところ。「愛車を慈しむ純平」をテーマに、私は用意したカメラのシャッターを夢中で押し続けた。


「手帖に挑戦」  2006年9月22日

 循環系仲良しグッズ2007のひとつ、ゲマインシャフト手帖。これは「林檎班」の会員のみに販売されている商品です。デザインとともに、機能性にも優れているとの評判をいただいています。今年で、もう4代目となりました。
 ゲマインシャフト手帖の特長として、毎回パズルコーナーというものがあります。クロスワードやナンバークロス、お絵かきロジック、マトリックスパズル、スケルトンパズルなど、昨今隆盛のパズルに椎名林檎や東京事変エッセンスを振りかけ、毎年お楽しみいただいています。四角い頭が丸くなればという、手前どものささやかな願いです。
 手帖の製作時、いつもこれらのパズルを林檎女史や刄田氏に遊んでもらっています。今年のパズルも、刄田氏に挑戦してもらいました。今年のラインナップは、漢字クロスワードにナンバークロス、更にマトリックスパズルで、刄田氏はまずは漢字クロスワードにとりかかりました。
 たいそうスムーズに適当な熟語を導き出し、マス目を埋めていく刄田氏。この場合、携帯電話は必携です。携帯電話の漢字変換機能でもって、正しい漢字を呼び出すというわけです。漢字クロスワードでは、このようにつまづくことなく刄田氏は正解にたどり着けました。
 次に刄田氏がチャレンジしたのは、ナンバークロス。彼にとっては初めてのタイプのパズルだったようで、概念を理解してもらうのに少し時間がかかりました。しかし、その先はなんとか快調に・・・、と行きたかったのですが今回は世界の地理を中心とした単語が多かったため、刄田氏はだいぶ往生してしまいました。結果、ギブアップ。マトリックスパズルに関しても、やはり概念を理解してもらうのが難しく、断念となりました。
 刄田氏チャレンジは、このような有様でしたが、是非お買い上げの方には途中で根を上げることなく、完全クリアを目指していただきたいものです。充実の3パズルをご用意しております。
 ゲマインシャフト手帖は、脳力トレーニングブームにもうまいこと乗っかっていきたいと思います。


「カレンダーの撮影」  2006年9月22日

 循環系仲良しグッズ2007のひとつ、ゲゼルシャフトカレンダーの撮影を催しました。ゲゼルシャフトカレンダーはこれまでに3商品を発表しましたが、今回は初めての本格的撮り下ろしを敢行しての制作となりました。しかも、林檎女史単独ではなく東京事変5人が被写体です。私たちスタッフも、いつにも増して気合が入るというものです。
 撮影場所は都内の小粋なスタジオで。スタジオの一角は、バーカウンターのような形式になっており、ケータリングの差出しも、あたかもバーテンダーと客のやり取りのごとく。撮影ムードは高まるばかりです。
 まずは事変メンバーひとりひとりの撮影。入れ替わり立ちかわり、呼ばれては白バックの前にスタンバイし、撮られていきます。今回の林檎女史の衣装は、背中が大胆に開いたタイプ。帽子を頭にちょこんと乗せ、大人の雰囲気の中にも可愛らしさを漂わせていました。伊澤氏は、ドナルド・フェイゲンを髣髴させる、シャツとネクタイの装い。刄田氏は白いシャツに黒いパンツというシンプルさながら、そのシャツのボタンに沿ってカラフルな折鶴でも貼り付けたかのようなデザイン。浮雲氏は、マネの「横笛を吹く少年」のようなスタイル。今までの浮雲氏のイメージには無く、新鮮でした。亀田師は、黒いシャツとパンツに、靴が赤という洒落男な風情でした。もちろん笑いの要素は一切無く。事変のメンバー5人が5人とも新しい魅力に満ちていて、豊かでした。
 続いて5人揃っての撮影。それぞれ押しの強い衣装なので、調和はどうかと少し心配しましたが、全くの杞憂。逆に美しい調和を見せてくれました。ああ、これが事変の力なのかと。カメラマンの方がある程度統制をとったときには、しゃんとした表情とポーズで。逆に「自由にしてください」という指示のときは、たまらなく自由に。ダレた談笑が始まるほど。でも、それがいいのです。
 とにもかくにも、このような充実した撮影を経て選び抜かれた写真に、抜群なコラージュが施されて完成したゲゼルシャフトカレンダー2007。これが凡作のわけがございません。すべては事変メンバーの魅力により輝きが大幅に増したからこその傑作なのであります。
 聞けば、9月25日までに注文受付が終了してしまうとのこと。「猫キヲスク」コーナーに急ぐときかもしれません。


「ある夜の震え」  2006年9月21日

 残暑がまだうっとうしい頃のお話。
 私は就寝の際は、ひとまずエアコンを付けたまま、1時間ほどで切れるようにしている。通常はその設定で、朝まで快適に眠っていられるのだが、ある日の晩は非常に寝苦しくてたまらなかった。あまりに不快だったため、目が覚めてしまった。
 時計を見る。午前2時過ぎ。再度エアコンをつけようかと、ぼーっとしていたとき、遠くからバイブ音が聞こえてきた。なんだろう、そう思いながら隣の部屋に行ってみると、果たして携帯のバイブ音だった。深夜の電話ということで、反射的に身構えてしまう。電話をとろうとしたら、切れてしまった。着信履歴を見てみると、刄田氏からのものだった。 驚いて、こちらから電話をかけてみるも、いっこうにかからない。部屋の暑苦しさと、不可思議で不安をそそる電話によりしばらく私は眠れなくなってしまった。
 刄田氏が心配である。翌日、中央線のM嬢にことの顛末を話した。M嬢はすわっ一大事とばかり、すぐに刄田氏に連絡をとった。結果は、なんのことはない、刄田氏が携帯写真を自分で撮って遊んでいたときに、間違って私のところにかかってしまったとのこと。なあんだ、ハハハハハとひと安心。
 深夜の電話は、十中八九、人の不幸を想起してしまいますゆえ、慎重にお願いいたします。


「ライジングサンとコマトマ そのニ」  2006年8月25日

 ライジングサンロックフェスティバルは、私にとっては二度目の体験だった。前回は二年前。テントをはってキャンプを敢行した。確かそのときはアテネ五輪の真っ最中であり、PRIDEでは小川対ヒョードルという重要試合も同日に行なわれるという局面だった。そのため、ライブ観賞をしつつも片方でそちらの熱戦の情報もたんぱ放送で入手という慌しいありさまだったことを記憶している。
 今回も、気が気ではないイベントが同時開催されていた。高校野球である。とりわけ駒大苫小牧高校が三連覇なるか、これには皆注視していたことと思う。ライジングが北海道で行なわれ、駒大苫小牧も北海道である。地元民ならずとも、気にせずにいられようか。まだ早稲田実業の斉藤投手フィーバーが起こる直前である。
 本来であれば、甲子園の戦況が気になり、フェス観賞がなおざりになってしまう可能性すらあった。しかし、二年前のライジングで私が情報入手に悪戦苦闘したときと比べ、ステージ上でことあるごとに現在の駒大苫小牧情報というのが逐一発表されていた。実に有難かった。そのため、私はフェスに素直に集中していさえすればよかった。
 また、真心ブラザーズのMC時の駒大苫小牧情報は秀逸だった。駒大苫小牧が勝ち進んでいるという話題から、会場へ向かうタクシーで聴いたラジオで「甲子園でよくかかる応援ソング」がかかっていたという話になり、まさにかかっていたのがご自身の「どかーん」だったと。しかも、これまた恒例曲である山本リンダさんの「狙い撃ち」を打ち遣って、「どかーん」は堂々の1位だったそうだ。で、それを受けてすかさず演奏されたのがそのまま「どかーん」。当然お客さんの受けもどかーんだったことは言うまでもない。この流れには、名人芸すら感じさせられた。
 かように、フェスとご当地の関係。それからアーチストがいかに時事を取り込んでステージに反映させるか。これらは改めてたいせつな要素なのだなと考えさせられた次第である。今だったらハンケチネタだ。


「ライジングサンとコマトマ」  2006年8月22日

 8月18日。北海道はライジングサンロックフェスティバルへ。
 林檎女史がZAZEN BOYSのステージにゲストで上がったときは、たいそう誇らしかった。「お帰りなさい、林檎さん」というキラーフレーズを思わず唱え続けた。そう、第1回のライジングサン(1999年)で、林檎女史はこの石狩のステージに既に立っている。甲子園的に表現するならば、今回が7年ぶり2度目の出場だ。余談になるが、この日甲子園では、北海道代表の駒大苫小牧が熱戦を繰り広げていた。林檎女史にとっては、まったく久々のライジング降臨だったわけだ。
 夜8時過ぎ、場所はサンステージ。辺りはとっぷりと暗くなっている。舞台上では、もはや横綱相撲たるZAZEN BOYSの演奏。その終盤、「crazy days crazy feeling」のとき、現れたのが林檎女史だった。ZAZENに精通している御仁ならば、この流れの必然性は理解できたであろう。しかし、今回初めてZAZENのステージを目の当たりにしたお客さんにしてみれば、二重の衝撃だったことは想像に難くない。コーラス、ボーカルを堂々披露し、林檎女史はステージを去っていった。
 ライジングに限らないが、フェスほど油断ならないものはない。悠長に食堂付近で寛いでいたりすると、突如遠くのステージから重要楽曲のイントロが流れてきたりする。結果、猛ダッシュで音のするステージに向かうことになる。いや、そういう予想外も、フェスの醍醐味ではあるのだが。今回も、サンステージから中途半端に離れていた人ほど、聴こえてくる林檎女史のコーラスに戦き、泣きっ面でステージへ向かったことだろう。現に、私がそのクチだった。「よしんば空を飛べたなら」などと、現金な目的のために美しい夢を見たりもした。

「日比谷・御稜威・ピンポイント」  2006年7月5日

 7月2日。待ちに待ったイベント・SOCIETY OF THE CITIZENS vol.1が日比谷野外音楽堂で開催されました。日中は、本降りの雨がしばらく降っていました。近くでは落下傘までも降ってきたと聞きます。一時はどうなることかと思いましたが、開演数時間前には雨も上がり、爽やかな風まで吹き込んできて、本番に向けいいお膳立てが出来ました。ああ、やんでくださったか。
 イベントは、Tokyo Incidents、SOIL & "PIMP" SESSIONS、ZAZEN BOYSという順番でライブが行なわれました。また、Tokyo Incidentsのときにはソイルのタブさん・モトさんがトランペットとサックスで、ソイルのときにはTokyo Incidentsの浮雲氏がギターで、ザゼンのときにはタブさんがトランペット、そして林檎女史がボーカルでそれぞれ参加。なんて胸のときめくコラボレーションなのでしょう。野沢直子ならずとも、「ほしかった絵ヅラはこれよ!」と叫びたくもなります。それから、ソイルとザゼンの幕間には、林檎女史が浮雲氏と伊澤氏を率いて「映日紅の花」を熱唱。五感総動員で感じ入りました。
 日比谷野外音楽堂の魅力にも触れておかなければなりません。会場ゲート近くでは出店がいくつも軒を並べ、縁日ムード。会場は鬱蒼とした緑で囲まれ、それを霞ヶ関の官庁庁舎が覆うという独特のロケーション。木の根元を覗いてみれば丸々としたヒキガエルが現れ、トンボ(コシアキトンボか)はいい具合に宙を旋回。ホールやライブハウスではこうはいきません。
 すべてが心地よかった。願わくは馴染みのイベントとして定着することを。

「パフューマーかつパフォーマーを見学」  2006年6月15日

 ツアーのグッズのうち、最も反響を呼んだのが香水でした。その香水をプロデュー スしてくださったのは、保坂勉さん。この保坂さんが、いわゆる調香師でありな がらラテン歌手でもあるということは、以前この志まんノートでご紹介したかと 思います。
 このたび、保坂さんの歌手パートを初めて拝見する機会がありました。我らが 刄田氏や中央線のM嬢らとともに。
 場所は六本木のライブハウス。私たちが入ったときには、開演前ながら既に多 くのお客さんで溢れていました。年齢層はぐっと高めで、余裕のある大人の娯楽 といった趣でした。保坂さんのラテン歌手としての認知度がこれほどまでだった とは。私は自らの無知に忸怩たる思いでした。保坂さんの円やかな歌声を味わい ながら、イタリア料理に舌鼓を打つ。なんとも贅沢なひとときを楽しめました。
 MCでは、保坂さんはさりげなくご自身が調香師でもあることを表明なさりま した。そうなると、流れ的に東京事変の話に及ぶのは必然。「今日は、刄田さん がいらしていて」。いきなりの紹介にぎょっとしつつも大笑いをする刄田氏でし た。

「沖縄で終結」  2006年6月7日

 沖縄公演にて、2ヶ月に及んだ"DOMESTIC!" Just can't help it.がいよいよ大団円とあいなりました。沖縄でのライブということで、肩の力が抜けて半ばリゾート気分となるかと思いきや、全身全霊を掛けた集大成ライブに。こんなところも、東京事変の東京事変たるゆえんです。沖縄のお客様もたいへん温かく、メンバーが口を揃えて「次も沖縄で」と希望するのも当然のことだと思いました。
 ライブがはねて、メンバーとスタッフ合同の打ち上げ大会を催しました。お店には、オリオンビール、泡盛、ゴーヤチャンプルー、ソウメンチャンプルー、山羊の刺身など、メートルを上げるには事欠かない沖縄名産が用意されています。当然、事変メンバーもスタッフも、ツアー終了の感慨に耽りながら夜通し飲めや歌え(正確には"歌え"はあまり無し)。ツアーをともにした戦友たちの最後の「我慢できない」夜は更けていきました。
 沖縄公演翌日。ある者は沖縄に数泊滞在し、ある者は足早に帰京。感傷に浸っているひまも無いようです。私は帰京組。朝っぱらからDFSで沖縄そばという帳尻合わせ的な思い出作りをはさみ、大雨の沖縄を後にしました。

「東京でこそ」  2006年6月5日

 NHKホール2デイズ。東京事変にとっての東京公演。その気合の入りようといったら。こればかりは、演者以外ではなかなか想像しがたいものがあります。しかし見事に気合が力となって、素晴らしいステージを見せてくれました。また、「喧嘩上等」のときのお客さんの掛け声の多さ。「黒猫屋」「日本一」「待ってました」、みな堂に入ったものです。ツアーも大詰めに来て、ここまで馴染んだのかとある種の感動すら覚えました。
 打ち上げが素敵でした。とりわけ26日のほう。林檎女史は、ほっとしたかのような雰囲気で終始歓談。それは、他のメンバーはじめその場にいた全ての人々にも同じことが言えました。難攻不落とされている、実に9リットル瓶のシャンパンも、余裕で踏破。それぐらい、飲みに飲んだということです。
 では沖縄で。その挨拶で別れたのは、白々と夜の明けた午前5時過ぎ。そこかしこで新聞少年を見かけた気がします。

「アングル大阪」  2006年6月2日

 大阪公演は二日間ありました。そのため、二日目は少しゆっくりと会場入りすることが出来ました。ならば、大阪という街を堪能しなければ。というわけで、私はヘアメイクのO氏、そして中央線のM嬢を誘い、「大阪・ザ・ディープ」と称した大阪観光に繰り出しました。
 JRの大阪駅からスタート。まずは、大阪環状線の某駅を最寄とする某場所を目指しました。ここは、「大阪を知りたくばまずは」と評判の地で、私は前々から一度は訪れてみたいと思っていました。環状線に乗り損ねて、ユニバーサルスタジオの駅まで行ってしまいましたが、それも嬉しい誤算。大阪名所を余分に楽しめたことになります。さて、某場所とやら、もちろんたいそう満足しました。大阪のリアル日常を眺めることが出来ました。O氏もM嬢も非常に感銘を受けたようでして、私としても誘った甲斐があったというものです。
 某場所を後にし、再び大阪環状線に乗り込みました。続いての目的地は鶴橋です。ここは、コリアンタウンとして有名な場所です。ちょうど昼時でしたので、ここでお昼ご飯を食べない手はないと考えました。そして、路地を入った焼肉のお店で、焼肉ランチをそれぞれが頼み、加えて冷麺をひとつばかり頼み、午餐となりました。乾杯。本来ならば、もっと路地を奥深く入ったところこそ鶴橋の本領が発揮されるそうですが、時間の都合でほんの浅瀬レベルで留めておきました。
 鶴橋からは、今度は地下鉄で心斎橋へ。東京でいうところの渋谷なのでしょうか。たいへんな賑わいでした。食いだおれ人形やかに道楽、グリコの看板やドンキホーテの観覧車など、ランドマークものを記念撮影することに当然余念はありませんでした。食べ物屋さんも多く、まさに食いだおれの街・大阪を象徴する場所だったと思います。
 そんなこんなで会場入り。駆け足でしたが大阪という街を、恐ろしいぐらいの落差で堪能しました。改めて、大阪の深さを認識したものです。フェスティバルホールの会場としての素晴らしさにも触れて、この項を終わらせていただきます。

「静岡の親しみ易さ」  2006年5月24日

 東京事変の静岡でのライブは、椎名林檎ソロから考えても初めてのことです。首都圏とさほど離れていない距離感こそ、あるいは今までライブ開催地として選定されなかった理由のひとつかもしれません。そう、静岡は東京からそれほど遠くないのです。ということで、静岡の会場まで私は自動車でもって移動を試みました。
 なんでまた、そんな面倒な選択を。まあ、荷物も割とありましたし、ひとっ走りで静岡に着くんだぜ、というところを実感したかったのだと思います。
 横殴りの雨の中、東名高速を西へ飛ばす。車中のオーディオから「群青日和」が流れでもしていれば完璧だったのですが、うかつにもセッティングを忘れてしまいました。午前10時半に東京を出発し、海老名SAでの息抜きをはさみつつ、13時ぐらいには清水に到着。ひとまずインターを下り、昼休憩をとりました。新鮮すぎるネタのお寿司に舌鼓。要所要所の休憩を踏まえても、会場の静岡に到着したのは14時過ぎ。3時間ほど運転していたことになりますが、別段長かったという風でもありませんでした。
 さて静岡公演。静岡県自体、林檎女史にとっては非常がゆかりがあるとあって、ピンポイント・ローカルトークがズバズバと炸裂しておりました。当然、お客さんは狂喜乱舞すること請け合いです。そうなると、演者たる東京事変の実演も盛り上がるという、幸福な構図が出来上がっていました。ローカルトークは、ネタが重箱の隅をつつくものであればあるほど嬉しい。
 翌日の8時半。私はまたも自動車でもって東京へ引き返しました。眠くてきつかったのですが、富士川SAがあったので、助かりました。

「富山の蜃気楼」  2006年5月10日

 富山公演の翌朝のことです。私はライブが開催された富山オーバードホールの傍ら、JR富山駅の北口から延びる富山ライトレールという鉄道で富山港に向かいました。
 富山港(岩瀬浜)への鉄道は、昔からあったそうですが、このたび全線の車両も駅も完全リニューアルされ、富山ライトレールとして改めての開通となったようです。しかも、4月29日に開通と、出来たてほやほやでした。多くの市民が記念乗車しようと、駅はたいそう賑わっていました。
 市街地では路面電車として、郊外に入ったらよくあるローカル線のような富山ライトレール。真新しい車両がやはり目を引くらしく、駅で停まるたびに、撮影をする人々や手を振る幼子を見かけました。非常に好ましい風景でした。射幸心の多そうな中年男性がやけに多いなと思えば、終点の手前の駅が競輪場。まあそれもご愛嬌です。20分余りで、終点の岩瀬浜駅に到着しました。
 なにぶん、ホテルの集合時間がありますゆえ、海でゆっくりもしていられません。しかしそれにしては海までが遠すぎました。私は早足で運河沿いを富山港に向かって進みました。埠頭のようなところにあるベンチに腰掛け、しばし船を眺めます。程なく踵を返して岩瀬浜駅へ。慌しいことこの上ありません。
 帰りの富山ライトレールの道中。線路が単線のため、上下線のすれ違いは待避線のある駅で行なわれます。さて私の乗った富山駅行きの列車が、富山港行きの列車とすれ違ったとき、何があったか。うん?だれかいるな。浮雲さんだ!浮雲氏も私のことを認めたようで、その瞬間、お互い女子学生のように激しく手を振って合図をしたものです。それも満面の笑みでもって。本来のキャラではあり得ないことです。私にとっても、浮雲氏にとっても。
 富山に来るたびに思い出すであろう、ちっぽけながら素敵な散策の思い出であります。

「もしも刄田さんが」  2006年5月2日

 刄田氏の身のこなしにはいつも驚かされます。なんて俊敏なのだと。ドラマーは彼にとって天職だと思われますが、違う可能性だってあったかもしれません。少し考えてみたくなりました。
 もし刄田氏が、10年昔に生を受けていたら。それは当然、一世風靡セピアのメンバーであったに違いありません。あの強固なヒエラルキーの中で、高い運動能力でもってトップのし上がったことでしょう。もし刄田氏が、ジャパンアクションクラブに所属していたら。もちろんサンバルカンの主役をはっていたはずです。映画版の伊賀野カバ丸にだって出演したであろうことは想像に難くありません。もし刄田氏が、体操のおにいさんだったら、子供たちはおろか主婦の心もとらえて放さなかったと確信します。
 まだまだ夢想が可能です。でも、やっぱりドラマーの刄田さんがいいや。現在のツアーにおいても、刄田ドラムがまさに炸裂しております。ライブをご覧になる方は、是非ご注目いただきたいと思います。そして心の片隅には、無限の可能性を。

「盛岡に参る」  2006年5月1日

 盛岡公演の現場入りは、私はライブ当日でした。東京から新幹線でただただ北上。一方林檎女史たちメンバー一行は、前日の仙台公演を終え、同じくライブ当日に仙台駅から新幹線で盛岡へ向かうこととなっていました。
 仙台駅のホームで待っているメンバー一行。そこに滑るように入ってくる東北新幹線。車窓から見える車内に、まさか私の姿があるとは思わなかったようです。確かに私のほうからも、メンバーたちが私を認めて頓狂な表情になるのを見ることが出来ました。しかし、それほど驚きをもって迎えられるとは、こちらこそ驚きです。
 そのときの印象を、林檎女史はこう述懐します。「『ガキの使いやあらへんで』の、『笑ってはいけない』のイジリーさんのような」。なるほど、私の今回の登場は、シュールの領域だったのだ。

「ライブ 北紀行」  2006年4月21日

 東京事変 “DOMESTIC!” Just can’t help it.がただいま絶賛開催中です。今のところ、開催場所は東日本と北日本のみ。各会場とも、お客さんに土地柄が感じられ、私などそのことに感動したものです。全国行脚の良さを実感しているところです。
 短いながら、現在までの公演の感想を紹介させていただきます。

初日鎌倉芸術館。松竹大船撮影所の跡地に建ったこの会場、中庭が竹林という風情です。古都鎌倉であることの矜持でしょうか。初日に馳せ参ずるお客様ともなれば、熱情のほどもさることながら、そこにフットワークの俊敏さも兼ね備えているものと想像します。


中庭に見事な竹林が



雪が舞い散る中、よくご無事で
札幌は北海道厚生年金会館。亜寒帯であることを持ち出すまでもなく、北海道は普通に寒い。雪も舞っていました。だのに開場前販売に長蛇の列を作って待ってくださったお客様。寒さなどへっちゃらかのように。


埼玉県の大宮ソニックシティ。東京に近いだけあって、会場自体近代的な佇まいです。何せ名前からソニックなどと。とはいえ、東京のお客様とも違う、独特の中核都市的な印象を受けました。具体的にどんな違いだと問われれば、絶句するよりしかたありませんが。


未来都市さいたまを彩る


満開の桜が待っていてくれました
新潟県民会館。国境のトンネルを抜けると雪国だっただけでも大感動でしたが、新潟市街がちょうど桜が満開。美しかった。心が洗われました。お客様もたいへんな盛り上がりようで。おそらくひさしぶりの新潟公演ということで、お客様みな「よくぞきてくれた」という気持ちだったのでしょう。



仙台サンプラザホール。前回のツアーでも、林檎女史が特筆すべき会場だったと言っていましたが、今回もまさにその通り。お客様のご声援には伊澤氏もたいそう嬉しそうでした。そして打ち上げは、牛タンに舌鼓を打つという王道すぎるパターン。


杜の都のお客様



盛岡駅のすぐ脇、市民の憩いの場です
盛岡市民文化ホール。奥州のロマンをダイレクトに感じたのは私だけでしょうか。北上川の十分な水量を見ただけで昇天。イーハトーヴ万歳。それはともかく、ここでの公演も、お客様の東京事変に対する待望感というものを痛いほど身に染みた次第です。


 簡単に書き連ねてしまいました。回を重ねるごとに、ライブの完成度も上昇曲線をしめしております。林檎女史をはじめ、事変メンバーの気力の充実には目をみはるものがあります。ローカルトークを織り込んだMCも微笑ましい。これからは西のほうに参ります。ライブにお越しの方は、どうぞお楽しみください。

「ツアーを控えて」  2006年4月3日

 東京事変のライブツアー・“DOMESTIC!”Just can't help it. が開催間近です。先日、リハーサル中のスタジオにお邪魔しました。
 リハーサルも終盤ともなれば、もう段取りの確認や音の微調整など、仕上げの段階。通し稽古など、非常にスリリングでありました。
 今度のツアーは、どんな様相を呈するのか。一言で申し上げるならば、東京事変がいよいよ東京事変になる、ということかと思います。抽象的な表現で申し訳ありません。なんと申しますか、個々の技量とバンド総体としての魅力。どちらも楽しめるしくみになっている。うっすらと霞がかっていた東京事変が、くっきりと全貌を現す、そういうツアーになるのではないでしょうか。
 ところで、メンバーが耳に装着しているイヤーモニター、略してイヤモニが非常に光沢があって綺麗でした。一瞬「グッズか!?」と戸惑ったほど。未来世紀ならではの先端的な見た目でした。ツアーの会場では、各メンバーの耳の中まで注目していただきたいと思います。

「パフューマーかつパフォーマー」  2006年3月14日

 現在黒猫堂では、来るべき”DOMESTIC!” Just can’t help it.に向け、そこで販売する香水を開発しているところです。東京事変のアルバム「大人(アダルト)」のジャケットの香水を再現するかのような、心ときめく試みです。完成を楽しみにお待ちいただきたいと思います。
 香水の総合的なプロデュースを担当してくださっているのは、「保坂オルファクティブ」の保坂勉さん。香りのプロ中のプロであります。大学時代は化学を専攻し、その後香水の専門家へ。毎年何度もヨーロッパに赴き、本場の調香師の人たちと情報交換に余念がありません。いかにもヨーロッパ仕込みの落ち着いた佇まいの保坂さん。いくつもの香料を調合して、オリジナルの香りを生み出してくださっています。
 その保坂さんですが、香りのプロでありながら、なんと歌手でもあったのです。歌手!調香師という肩書きからは、あまりに遠く頓狂なもう一つの顔。
 あるとき私は、保坂さんのお車に同乗させていただきました。そこで保坂さんが「実はわたくし」と切り出し、ご自身の音源をカーオーディオで流し始めたのです。若干中だるみだった車中が、途端に色を変えました。洗練された円やかな歌声。「ムーチョムーチョムーチョ」や「キェンセラ、キェンセラ」といった、狂おしいラテンフレーズ。何なのか、このお方は。
 調べてみれば、保坂さんはラテン歌手としてたいそうな経歴をお持ちでした。既にご自身のCDも出されていて、ヨーロッパや台湾でのリサイタルまでこなされているという。ボーイソプラノとして活動していた少年時代から数えれば、調香師よりも歌い手としてのキャリアの方が長いそうなのです。
 そんな音楽家としての側面も持つ、香りのプロによって作られた香水。音と香りのハーモニカ。珍妙で安手の香りになるわけがありません。大人の複雑微妙な機微を表現しつくした、味わい深い香りになること請け合いです。現代のジャコウネコたちに捧ぐ、”DOMESTIC!” Just can’t help it.の香水(オード・トワレ)に是非ともご期待ください。

「あっぱ ふたたび」  2006年3月3日

 以前に予告をした通り、あっぱのライブにまた行って参りました。場所は、渋谷は円山町のライブハウス。私にとって、前回があっぱ初体験だったため、今回のライブは更に咀嚼が出来たように思えます。楽曲の良さも実感出来ましたし、こたびも大いに魅了されました。
 さて終演後、伊澤氏にご挨拶したときにひとエピソードが。ライブには、東京事変 DOMESTIC! Virgin LINEで共演してくださった菅原裕紀さんもいらっしゃっていました。菅原さんは、あっぱとしてのパフォーマンスをご覧になって、伊澤氏の過去の音楽経歴について質問をしてみたくなったのでしょう。伊澤氏にこんな質問を投げかけました。
 「クラシックを以前やっていたの?」
それに対し、伊澤氏は
 「ええ、倉敷にはむかし住んでて」
そのあとニュアンスだけで「はあはあ」みたいに収束。終演後とはいえ、ライブハウスの喧騒の中の語らいです。確かに“クラシック”と“倉敷”、語感が似てなくもありません。しかも、どちらの言葉も伊澤氏を説明する上では不可欠な要素。可愛らしい聞き間違えではあったのですが、私はたまらず、
 「いや、スガチンさん(菅原さんの愛称)はクラシックがどうと訊かれていて」
と横槍を入れさせていただきました、魔を切り裂くが如く。
 「なんだ、ははははは」
 「ははははは」
 言葉はいらない。眼差しがあればいい。

「Virgin LINEの舞台裏 その二」  2006年2月23日

 またもリハーサルでの風景。今回のライブでは、「サービス」を5人のメンバーが拡声器を携え、踊りながら歌うという趣向でした。しかも男性陣の生着替えまであって。「サービス」の間奏中、林檎女史がもう一人の女性とともにゆったりとした踊りを展開する一方、男性メンバーが後方で素早く着替えるというものです。生着替えのため、カーテンで円筒状に仕切られた4人分の小部屋が用意されました。長い2本の棒にカーテンの付いた円筒が4つほど固定されています。その棒の両端を係りの人が二人して駕籠の如く持ち運ぶのです。往年のスーパージョッキーが思い出されるような装置ですが、このたび一から作り上げました。林檎女史曰く「今後、この装置をそのまま他の人が使ってくれるならば本望です」と。求む、新たな生着替え演出ありのライブ。

「Virgin LINEの舞台裏 その一」  2006年2月22日

 2月19日、日本武道館。2月21日、大阪城ホール。東京事変の東西顔見世ライブ、DOMESTIC! Virgin LINEがついに開催されました。今回のライブは、“顔見世”というだけあって、通常のライブとは少々毛色が異なっていました。非常にエンターテインメント性が高く、新しい東京事変を紹介するとともに、お客さんにこの場を楽しんでもらおうという意志が感じられました。
 リハーサルでの風景。冒頭の目玉、東京事変と少女合唱団との奇跡のコラボシーンの練習です。それまでは各々で練習していたのが、本番当日に初めてのお手合わせということで、特に少女たちが若干戸惑い気味だったでしょうか。林檎女史は、通常の合唱曲とは明らかに異なる楽曲「葬列」をハモってもらうことに対し、「難しいでしょ?ごめんなさいね」と気遣っていました。また、少女たちにウサギの耳の付いたカチューシャを頭に乗せてもらったことについて、林檎女史は「まあ可愛らしい。こちらがそうしてとオーダーしたのだけれど」と、思いが遂げられて満足げでした。

「Virgin LINE整備場を覗いてみれば」  2006年2月17日

 東京事変 DOMESTIC! Virgin LINEがいよいよ開催間近です。本番に向け、メンバーもスタッフも準備に余念がありません。既に佳境に入っているリハーサルを覗いてみました。
 スタジオに入ると、早くもリハーサルは始まっていました。あれ、少々東京事変のかたちがおかしいか。メンバー5人が横並びになっているのです。正確に言えば、横並びどころか5人が特異な動きすら示しています。通常ならば、音響学や舞台栄えに基づいた配置、ボーカルが中央にいてその左右にギターとベースがいて、みたいな立ち位置であるはず。いったいどういうことなのか。どうやら顔見世ライブならではの趣向が凝らされているようです。
 今回、会場で販売されるグッズで“手旗ドメス”というものがあります。そのまんま手旗です。この手旗ドメス、本番中の適切なタイミングで振れば会場全体が華やぐ効果があるようです。急遽手渡されたサンプル版でもって、リハーサルの演奏を眺めながら私は思い切って手旗ドメスをはためかせてみました。なんという自由。全てが解放された気分。手旗にはこんな効果があるのかと。断然本番でも試すべきです。
 本番前に種明かし的なことを書くのは厳に慎むべきですので、多くは語りますまい。しかし、上に記した符丁を読み取っていただいただけでも、恐るべき東西顔見世ライブになることは想像できましょう。Virgin LINEのフライトプランは凄いことになりそうです。

「伊澤氏 アズ あっぱ」  2006年2月8日

 東京事変の伊澤一葉氏は、もともと自身で“あっぱ”というバンドをやっています。先日、そのあっぱのライブに行ってきました。
 あっぱは、伊澤氏がピアノ+ボーカルを担当し、ほかにはドラムとベースという三人編成のバンドです。メンバーお三方の対比が良い。そして仲良しっぽい。演奏がうまいのは言うまでもないことですが、とりわけ印象的なのは伊澤氏の歌唱スタイルです。もともとあっぱの楽曲自体、予想外の転換があったりと、一筋縄ではいかないものが多いのですが、伊澤氏の歌唱がまた何と言いますか酔いどれチックなのです。観ていて釘付けになってしまいます。ただ、“酔いどれチック”と言いましても、酔拳を使っている感じで。よれっと来ているかと思えば、その直後鋭く一撃を食らう、みたいな。その辺の、強弱が絶妙です。
 ところで、一緒に観に行ったM嬢が、手持ちのケーキが嵩張るので、一時避難としてライブハウスの階上のテナントに置いておいたのです。ライブがはねて、さあ帰るかとケーキを取ろうと思ったら、件のテナントは最早閉め切ってしまっていました。M嬢は泣く泣くケーキを断念したのか。否、逞しくも翌日取りに行きました。
 あっぱは三月にもライブを持つようです。上記のような見方が正しいのかそれとも一面的なのか、やはり再度観てみなければならないでしょう。MCも楽しみ。

「お帰りなさい、林檎さん」  2006年1月31日

 タイトルをいきなり名言から始めてみました。皆様には、「初めまして」とご挨拶したいところですが、お久しぶりです。今まで私は「傍観者日録」にて、“傍観者”として椎名林檎のとっておきエピソードをご紹介してまいりました。しかし、かれこれ三年近く書き続けてきましたが、段々と“傍観者”というスタンスを持続出来なくなってきてしまいました。結果的に、遅筆がいっそう進み、読者の皆様からお怒りをいただくこともしばしばありました。
 今回、猫柳本線がリニューアルしましたが、いい機会と思い、心機一転“傍観者”という立場をひとまずお休み、というか返上することにしました。「きりよく逃げやがったな」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、そうではありません。日記の更新の頻度を高めるためと、内容の一層の充実を図るための措置として、なんとかお許しいただきたいと思います。“傍観者”という枷から自由になることで、椎名林檎ネタという究極的な縛りに囚われることなく、スタッフサイドの幅広いネタを提供出来ると思ったのです。もちろん、日記に出来る範囲の内容ではありますが。
 「傍観者日録」を終了させることについては、林檎女史からも「消極的な同意」として了解を得ました。思えば「傍観者日録」を最も好いてくれたのが、林檎女史本人だったのかもしれません。林檎女史には更新するたびに、しばしば「よかった」と好評をいただいていたものです。「傍観者日録」の更新が徐々にスローペースになっていったことで、林檎女史を落胆させてしまったとすれば、なんとも忸怩たる思いです。
 そういうことで、この「志まんノート」です。「じまんのーと」と読みます。あんまり意味はありません。しかし、意味の無さや捉えどころの無さを逆手に取り、内容的には自由度を高くまいりたいと思います。もちろん、椎名林檎ネタは重視します。それでも、それだけに留まりません。仕事上の些事だとしても、ネタとして成立するならば堂々と日記にちりばめたいと思います。読者の皆様は、それを踏まえてお楽しみいただければ幸いです。では、今後ともどうぞよろしく、お手柔らかにお願いいたします。