22回目 ぼくのじいちゃん。

                    
(今更気づくのもなんだが、おいらの文章、コラムってより、作文だよな。『ぼくのじいちゃん』って、夏休みの宿題じゃああるまいし、でも、これでいいのだ。多分)

 「すまんかったなあ、としき。ほんにすまんかったなあ」
 「そんなことないって、また来年でも良いじゃん」
 じいちゃんはね今にも泣きそうになりながら僕にすまんすまんと、繰り返した。
 「明日、聞こえるように叩くけぇ」
 韓国ドラマみたいにくさいな台詞だな、と思いながらも僕は続けた。
 「田原(地名)にも届くようにがんばるけえな」
 言った後、少し顔が赤くなった。
 「なにがじゃ。」
 ほんと、この年寄りは・・・。
 「音がよ、空はつながっとるけえな。音だって届くよ」
 少し間があり。
 「そがあか(そうか の意)」
 まるで、既にうわの空の様な答え方だった。多分何の事かは解ってないだろう。それより明日のライブに行けない自分の事を考えていたのだろう。

 先月、広島のライブにじいちゃんも来るって、みどりから電話があった。
 嬉しかった。ほんとうに嬉しかった。じいちゃんは多分、未だに僕がどの様な職業かよく分かっていない。と思う。太鼓の上手か下手かなんて、どうでも良い。おおきなホールで歓声浴びる姿を、只、観てほしかった。
 むかしは一日にエコーを二箱も吸い、おおいに喋り、悪ガキだったおいらをよく怒鳴りつけたりしていた。”こわいおじいちゃん”という印象だったが、不思議とそんなおじいちゃんが僕は大好きだった。
 本当に元気な年寄りだった。高校卒業する前、一緒に家の前のツツジの間に生えた草刈りを一緒にやった。一日中かかった。ぼくは野球部の連中と練習したりしていたので、吹奏楽部とはいえ体力は自身があったが、とてもついていけなかった。「まるで妖怪のようだ」と思える程その年寄りは元気だった。
 しかし、よる年並には叶わないらしく歳と共に口数も減るようになり。宿命の様に年寄り的病気を幾つも抱えるようになり、段々元気がなくなってきた。そして去年辺りから足も悪くなり立ったり座ったりもおぼつかなくなった。きっと一般的な人生の下り坂だったのだろうが、東京にでて滅多に会う事が無かったからか、その下り坂も、僕の目には物凄い急な下り坂に思えた。桜が散ってしまうように。

 でも。じいちゃんは張切っていた、「宮島にも行くんじゃ、そいで、その後利樹を観に行くんじゃっ」って言う程に。ようわからんけれど、姉もついでに張切っていた。家族皆で揃う事なんてもう何年になるかわからない。ぼくもついでに張切った。その日はいつもより、少しだけながく太鼓の前に座り、少しだけいつもより多くお酒を呑んだ。

 一週間程前、「やっぱりじいさんいかれんよーになった」と、母から電話があった。自信がなくなったのだという。たしかにブースのある客席とはいえ、二時間近く座っている事すら出来そうにないらしい。そうか、しょうがないなと言って電話を切った。
 「じいちゃんが来る」と聞いた時の喜び。「来れんくなった」=残念。でも喜びの時程の心の動きは無かった。まあ仕様が無いな。と、思ったくらいだった。僕は冷たい孫なのか?それはよく解らない。

 今楽屋でこの文章を書いている。昨日おじいちゃんに会うんじゃなかったな。「すまんの。すまんの。」と繰り返すじいちゃん。それを思い出すと心が痛い。なんか本番どころではない。でも約束した。「みんなの音を田舎のじいちゃん家まで飛ばす」と。ま、ホントに届いたらこわいけれどね。
 じいちゃん、あと一時間くらいしたら南のそらに耳を澄まして。
 じいちゃん、全然気にする事ないけーな。
 じいちゃん、まさか寝とらんだろうな。ま、いいけれどね。
 じいちゃん、いつか観に来てな。

「オンタイムで参ります」と舞台監督のコウさんからのコエ。そろそろ支度しなきゃ。
この文章、必ず後日談みたいなのを書こう。音は届くのか。
遠い空からこの歌を、という歌がある。きっと届く。

ではでは。



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