17回目  

命の尊さ。
「そんなもの知ったこたぁない」
あ。今回のコラムここでしゅうりょぉー。
てな分けにはいがねっすよね。

 大抵の場合、男の子は小さい頃其れを学ぶ。とても残酷な方法だが。ザリガニを飼ったり、カエルを飼ったり、カブトムシを飼ったり、祭りの金魚すくいで、直ぐに死んでいく小さなものの力で。そしてその者の死を、自らの身内の者の死と照らし合せ。まあ実際、じっちゃんとばっちゃんが『共食い。』したり、『冬を越せないです。』だったり、『水槽の水があんまりにも酷かったもので。』てな死に方はしないのだけれど。小さきものの死は幼い少年の心に命という尊さを少なからず教えてくれる。きっと貴方の家の庭に忘れてしまったかも知れないが、幾つかの小さなもの達が眠っているはず。これは余談だが、しかも、いま此所で語るのはあまりに不謹慎だが、面白いので書いちゃう。ゆるしてね。
 昔やさしい少年がいた。やさしい蛇を(どんなだ?)飼っていた少年がいた、その少年は何かの本で、『蛇のような爬虫類は体の温度の調節が出来ないため、冬のような寒い時期には冬眠をします。』と、学んだ。少年はそれはそれは優しい子だったので、飼っていた蛇を或る冬の寒い夜、カジカム手でシャベルを握り、庭の土の中に埋めてあげたそうな。そして明くる日の朝、ほんの少しの好奇心から、そっと昨夜蛇を埋めた土を掘り返してみたそうな。少年は愕然とした。大事に大事に飼っていた愛蛇(なんて読むのか?)は、カチカチに凍って死んでいた。完全に完璧に死んでいた。だって、凍ちゃってんだもん。それは冬眠とは言わない、凍死だ。その少年は命の尊さと儚さと大人の発言の虚偽を一夜にして学んだ。まあ、往々にして幼い少年の優しさというものは失敗しがちだ。冬眠は自らの意志でするもので、無理矢理凍てつく土の中に埋めるなって事だけの話だけれどね。たいして面白くもないか。まあいいや。
 僕はさっき小さきものの死で命の尊さを学ぶと言ったが、(多分)ふと、今、僕は思うのだが、命の尊さというものに小さいも大きいも無いと思う。命の尊さというものは、その種族種類に関わらず均等に与えられるべきものだと思う。みんな少年の頃に学んだ死が、いまも自分の中で息づいているはず。僕は毎日食事をし、その糧で生きている。カエルやザリガニは食べた事はあるが、流石に金魚やカブトムシは無いのだけれどね。昔、自分が菜食主義者だという人間が知り合いがいたが、そんなの「はっ!」って笑っちゃうね。全国の、いや世界の菜食主義の方、多いに怒ってもらって結構です。(うそ。あんまし怒んないでね)貴方が腰を掛ける椅子、食事をする机、身に付けている服、本、ペットボトルやプラスティック、車の燃料、トイレットペーパーに至るまで、すべて過去に生きていたものの死骸なのです。貴方が毎日口にする野菜だってつい最近まで生きていたのです。脳があり、心臓があり、鼓動し、血液が流れるものに対してだけに命を感じる事の出来ない様な人間は、僕に言わせれば逆に残酷な人間と思う。想像力の乏しい人間だ。雪の下で静かに春を待つフキノトウ、春に咲き、春の終わりの風に綿毛を飛ばすたんぽぽ、夏の輝く太陽を毎日東から西へ追いかけ、太陽の沈んだ夜の月の下でしなだれるひまわりを見ても命を感じないのだろうか?まあいいや。言い出せばきりがない。
 
 僕の話をしよう。先に言っておくが、とっ散らかった内容になると思う。酔っぱらって書いているからだ。(いまさら何言ってんだ、既に十分にとっ散らかってるけれど)もうニ十年前位にうちのじいちゃんとばあちゃん家にモモってっていう(平仮名で”もも”かなぁ?どーっでもいい?)白い大きな雌犬がやってきた。良く言えば本当に良く言えばだが、盲導犬に使われそうな毛の短いラブラドールの様な雑種だった。その頃僕は近所に飼われていたチロって(これは恐らく片仮名か?)犬が死んでしまったばかりで酷く落ち込んでいたのだが、じいちゃんとばあちゃん家にその”もも”がやってきたときはとてもうれしかった。余談になるかも知れないが、おいらの父親、日出光は動物嫌いでペットなんてとんでもない!って家庭だったからそれはそれはうれしかった。なぜ余談になるかと申したかというと、今では日出光、ちょ〜ペット愛好家。おいらのくろちゃんを溺愛してくれているからだ。少々悔しいが嬉しい限りだ。うんちやおしっこの具合を電話でいちいち知らせてくれる。話を戻そう。ももはじっちゃん家にやってき時には既に犬社会的には老犬でよたよたしていた。それでもももは暫くして子供を腹に授かった。田舎の山奥なので当然のように首輪なんて付けた事もなかったので、どこかのだれかとヤッチャってきてしまったのだろう。人間の大人なら大問題だ。どーでもいいけど。
 そして三匹の子犬が生まれた。ここからがもう余談なのだか本題なのだか解らないけれど面白い。じっちゃんがつけたかばあちゃんがつけたか忘れてしまったのが物凄く残念なのだが、その三匹に付けた名前がなんと!!!!もっかい言っちゃう!!その三匹に付けた名前がなんと!!
モッくん!
ヤッくん!
ケンちゃん!!
!!。フッくんどこいった!!??若い人には解んないかなぁ?その当時イッセイをフウビしたシブガキ隊です。
そのセンス稀じゃない。流石おいらのじっちゃんとばあちゃん。
ん〜余談だね。でも解る人には解るかな?

 三匹のうちもっくんとやっくんはじっちゃんの知り合いに譲って、ケンちゃんとももだけが、じっちゃんとばあちゃん家に残りました。ケンちゃんはとてもお利口で、赤ちゃんの手押し車を押して歩いたり、フラフープの輪っかを飛び上がってくぐる芸まで修得しました。しかしそれを調教したじっちゃんには途方も無い苦労があったと思います。ケンちゃんと互いにね。じっちゃんは(あーもう、じっちゃんって書くのが面倒くさくなって来た、ちっちゃい「っ」とか「ゃ」とか。利秋で良い?ちなみにばあちゃんはスミ)誰かが家に訪れる度にその芸を披露していました。正直言ってハタから見れば利秋の芸だかケンちゃんの芸だか解んない。(笑)
 それはそれは幸せな日々でした。しかし、それは長くは続かなかった。(なんだかお昼のドラマみたいになってきた。おいらもべろべろになってきた)ある日、ももがご飯の時間にになっても帰ってこなかった。普段鎖なんか繋いでいなかったので、そのうち腹が減ったら帰ってくるだろうと皆、思っていた。ももは三日目になって帰って来た。後ろ足が無くなっていた。ちぎれてもぎれて帰ってきた。ほとんど歩けない状態でも必死で帰って来た。兎の罠に掛かったのだ。"トラバサミ”ではなく、"そこ"を踏むと木の上に釣り上げるやつだ。ももは三日間ワイヤーと格闘し、ついに足をちぎって帰って来たのだ。ほとんど生きているのがやっとだった。
 此所からの話は今、現代、しかもこの東京に於いては信じられないかも知れない、詭弁かも知れない。利秋とスミの出した決断は保健所で処理してもらう事だった。つまり殺す事だ。その事に便宜を計る事など無く、二人はそうした。もちろんそんな事が許される事は決して無い。しかし、犬という動物は飼い主に対しての忠誠心の強い動物だ。もしかしたら最後を主人の元でむかえたかったのかも知れない。そうであれば少なからず、二人の老人にっとて救いがある。しかしその儚い命を人間が絶ったのだ。その決断を下した利秋とスミの心境はとても筆舌にしがたい。(そこんこ表現出来なくてこの文章になんの意味があるだろう。しかし許してと言っても僕の様な馬鹿には無理な話だ)幼かった僕は物凄いショックを受けた。
 貴方は普段は野山を駆け回っていたももが足を失い歩く事も出来ず、ろくに餌も食べることも出来ない姿を見る状態に耐えられるだろうか。もちろんそれでも「私なら決してそんな残酷な事はしない」と、怒りさえ感じるひともおそらく日本国民の中から数えれば何十万人に及ぶだろう。たしかにその通りだ思う。しかしその反面、不治の病の病床に伏し生きる望みのない人間が死を願っている事も知ってもらいたい。日本では年間3万人もの人が自殺をするらしい。そのなかで病院のベットで自ら死を選ぶ人間が沢山いるのだ。日本の法律では安楽死というものが認められてはいない。世界中探してもほとんどない。どうやらアメリカのカルフォルニア州では尊厳死という形で認められているらしい。あと、安楽死に関してはオランダ、ベルギーでは認められているらしい。(不確かだが光子に聞いたんだけれどね)
 僕の母親は今、老人福祉の関係の仕事をしている。僕が東京に出るまでは老人ホームの看護婦をしていた。沢山の不幸な死を見て来た。勿論稀に幸せな死も見てきたともおもう。しかし、ほとんど多くの死に幸福な死などあり得ない。
 『いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや』
 高校生のとき国語の授業で教えてもらった孔子の言葉。ももが幸せな生を送ったか?そして幸せな死を迎えたか?それは誰にも解らない。少なくとも利秋とスミ、僕とその家族には。
 そう、何年か前の夏、ケンちゃんも死んだ。おばあちゃんと墓参りに言った。ぼーぼーに草が生い茂る山を鎌を持って。青い空、白い雲。とっても良い天気だった。まるで夏休みの絵日記に水色のクレヨンで描いたような。むせるほどの草いきれのなか、おばあちゃんに合わせてゆっくりゆっくり歩いた。おばあちゃんは元気だった。僕は元気になった。ケンちゃんのお墓の前で。
 
 もう大体お気付きの方もいらしゃるでしょうが、ほんとのこというと僕は命の尊さを未だ知らない。最初に言ったでしょ。命の大きさも小ささも本当はよく解らない。それは幸せな事なのだろうか・・・。秘密にしておく。
 今夜はここでおしまい。長くなり過ぎた。だって短くする暇がなかったから。
    
ごめんなさい。



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