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頑張る。あと少しだ。
『夢』
その言葉は、意外にも沢山の意味合いを持つ。例えば、未来の希望や幸せな現実を自分の物にしたいと想う事柄。昼下がりぼんやりとして現実と現在の見境がつかぬさま。今の自分から逃れたいと想う甘美な想い。睡眠中にまるで現実の様に感じたり見たり、聞いたりする様子。今日、僕は昨夜の夢について話す。まあ、何時ものように、たいした話じゃあない。
空を飛ぶ夢。誰でも一度は、いや一度ばかりではないと思う、結構『夢』というカテゴリーの中ではメジャーな部類のなかに入ると思う。多分。僕はその属性の中では結構な実力を有している。と自負している。”三鷹市、夢の中で上手に空を飛ぶ”コンテスト”なるものがあったとしたら、三位以内に食い込む自信がある。まじで。僕の飛行は大体いつも同じsituation(調べちった、辞書で。かっくいい?どーでもいいか)、暗い大都会の夜の空。大都会って所が年齢を感じさせるね。(どーでもいいか)月だけが異様に明るい、僕はそれを目指して高く高く飛翔する。黒く群れをなす夜の鳥達をかい潜り、眼前を遮る雲を突き抜け、月面に向かって左手をちぎれる程のばし燃え盛る炎の中に身を投じようとする兎の後ろ足を掴もうとする。”静かの海”に立つアームストロング船長とオルドリンくんの姿が脳裏を過る。その刹那、いつも蜘蛛の糸が切れた様に僕の体は落下する。だめじゃん。と、お思いかもしれないが、僕はスペシャリストだ、新宿の都庁とパークハイアットの中間地点くらいのアスファルトの地面に落ちてしまう寸前、下っ腹に、ん”っ!!!(んにてんてん)と力を入れる。僕の体はまるでバンジージャンプ!暗い夜の中に吸い込まれる様に再び飛び上がる。
何時もその繰り返し。だれも僕が新宿の夜空と月とを行ったり来たりしていることになんて気づきもしない。もちろん誉めてもくれない。でも僕はいつもとびっきり上手く空に飛び上がることが出来る。地面に叩き付けられ、嫌な汗をかき飛び上がり目覚めたことなんて一度も無い。僕は常にベストを尽くす。何度でも飛び上がれる。ふと馬鹿馬鹿しく思える時だってくる、恐いと思う時だってある。でもね、僕は同じ夢を楽しむことが出来る幸せな人間だ。でもね、何度も何度も月へのバンジージャンプを繰り返していれば、さすがの馬鹿な僕だって途中で「これは夢なんだ」と気づく時もある。それでも僕は落下の速度を楽しみながら、きちんと一つ一つの手順を繰り返し上手に上手に同じ様に下っ腹に力を入れ、再び空へと舞い上がる。これは僕にとっての義務みたいなものだ。実は、内緒だけれど、本当のこと言うと、翼があればといいなと思うときもある。白く輝く大きな翼が僕の背中にあればずっと飛んでいることが出来るかもしれない。もしかしたら明るい太陽のもと、優々と真昼の月に手を掛け、アクセク働く人たちを見下ろす事だって出来るかもしれない。でもそれは僕の夢では無い。もっとカッコ良く勤勉な人間の夢だ。僕は暗い空を繰り返し繰り返し飛ぶ盲目のからすのような人間だ。その位は解る。猿でも解る。
此所からの話は蛇足。然るべく許されたし。
誰かが言った。
『飛べない豚はただの豚だ』
あはは。その通り。まあ言うまでもなく宮崎駿先生の作品、『紅の豚』ポルコロッソの名台詞。
では僕の翼は何だ。
誰かが言った。
『充実した一日が幸せな眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらす』と。うふふ。その通り。
では僕の死は何時訪れる?
完結してしまえばそれで終わりか?否。完結など無い。一般論だ。モノを造る人間にはそれはあり得ない。一般論だ。苦しい。正直言って苦しい。僕は弱い人間だ。『誰だって弱い』それも知っている。一般論だ。一般論とは現実の挟間で壊れかけた夢のかけらのようなものかもしれない。
僕は、いや、僕等はまた新しい仲間と、一つのキラキラ光るモノを造る作業に入っている。一生に幾つ残せるか解らないし、砂漠に足跡を探すような作業。去って行った二人の男、とても輝かしく素敵でさわやかな奴らだった。大好きだ。彼等に敬意を払うため、恥ずべき物は残したくない。そして新しい耳を持った新しいヒト達にも。ほんのちょっとでも良い。明け方、太陽の昇るのを待つ蒼く光る空の片隅に一つだけぽつんと輝く星のように、儚く微かなものでもいい。疲れて脅え、真昼の太陽の輝きを恐れ、暗闇の中飛び続けるような僕にだってもう少し何かが出来るはず。そう思う。そう思いたい。そうでなければ救いがない。
頑張る。あと少しか?
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